日本の多くの神社を建てたのは秦氏(外国から来た渡来人)だったのか?

(上)京都市の太秦にある広隆寺。秦河勝が聖徳太子のために建てた。

秦河勝とは秦氏の中心人物で聖徳太子の側近として影響を与える。

2008年11月13日朝日新聞で「広隆寺はキリスト教の寺だった」と掲載された。

(上)秦氏が建設した「木嶋坐天照御魂神社(このしまにいますあまてるみたまじんじゃ)」。境内に「養蚕神社(こかい)」を合祀していることから、通称「蚕の社」と呼ばれている。

(上)蚕の社にある「三柱鳥居」。不思議な姿から、京都三大鳥居のひとつに数えられる。

(上)秦伊呂巨(はたのいろこ)が建設した京都の「伏見稲荷大社(ふしみいなり)」。

「お稲荷さん」の総本宮。

ビルの屋上や工場の敷地内にもあるので全国に3万社から4万社あるといわれている。

(上)秦氏の支族である辛嶋氏(からしま)の信仰がもとで建設された大分の「宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)」。

(上)滋賀にある「日吉(ひよし)大社」。祭神である「大山咋神(おおやまくい)」は、別名「松尾大神(まつお)」といい、秦氏の建設した「松尾大社(まつのお)」の祭神でもある。

(上)金比羅(こんぴら)さんで有名な香川の「金刀比羅宮(ことひら)」。かつては「旗宮(はたのみや)」=「秦宮(はたのみや)」といって、秦氏が建設し、祀った神社である。

(上)白山神社。

(上)白山信仰の聖地である白山を開いた「泰澄(たいちょう)」(大谷寺蔵)。泰澄の本名を「秦泰澄」といった。事実、白山信仰のルーツは古代朝鮮にあるといわれる。一説には、白山の白とは、新羅の発音「シルラ」に由来するともいう。

(上)全国の秦氏を一堂に集めた小子部雷(ちいさこべすがる)を祀る「子部神社(すがるじんじゃ)。奈良の秦庄村(はたのしょう)のなかにある。

(上)秦酒公(はたのさけのきみ)に「ウズマサ」という称号を与えた「雄略天皇(ゆうりゃく)」。

(上)「木嶋坐天照御魂神社(このしまにいますあまてるみたまじんじゃ)」の境内にある蚕の社(かいこのやしろ)の碑。秦氏が養蚕(ようさん)を行っていたことを物語る。

(上)秦楽寺(じんがくじ)の門。中国風の建築様式から、秦氏が中国系渡来人であると称していたことがわかる。

(上)功 満王(こうまん)の名に由来するといわれる蟹満寺(かにまん)。

(上)下鴨神社(しもがも)にある糺(ただす)の池。土用の丑の日、ここで手足を洗う祭が行われる。かつて天皇家は、ここで禊(みそぎ)を行ったといわれる。

(上)秦氏の建設した神社のひとつ京都の「大酒神社」。かつては「大辟神社」と表現した。しか し、「避」という字はかつて「闢」という字を使った。大闢=ダビデの意味。つまりダビデ神社である(ダビデというのは旧約聖書に出てくるイスラエルの大王ダビデ の名前)。

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